しとやかで可愛らしいが、奇妙な女性だと思った。
 第一に、それまで何の存在感も無かったというのに、いつの間に兄上の傍にいて彼の庇護を受けていること。
 第二に、出生が明らかでなく身元があやふやなこと。兄上曰く、京の外れで意識不明になっていたところを見つけて保護した、ということらしいが、言動や仕草からして彼女が京の貴族でないことは明らかだった。しかし、貧困に喘いでいる庶民のようにも、他の地域で農業を営んでいる者のようにも見えなかった。それにしては身なりが綺麗だし、読み書きが出来、そこそこの教養を身につけている(とは言っても、京の文化には相当疎いようだった)。
 第三に、人を寄せ付けようとしないこと。貴族に気に入られようと取り入る様子もなく、保護をした兄上にさえも懐く様子を全く見せない。表情も硬く、言葉少なで、一人で居ることを望んでいるようだった。そのため、大抵の時間を兄上の邸の割り当てられた一室で過ごしていた。周囲の者、特に女性たちは、身元不詳の女性を邸に置くことに反対していたが、今の官位の兄上に逆らえる者はいない。兄上もそれなりの理由を付けて話せばいいというのに、謎の女性に関する詳しい説明なしに、ただ時機が来るまで彼女を手元に置いておくと言っている。女性たちの反感を買うのも当たり前だった。偏見と欺瞞に満ちた世界では、身元の分からない者に対する周囲の風当たりが冷たいので、ますます彼女は兄上の傍で居づらさを感じているように見えた。知盛兄上の正室である義姉上とその周辺は思慮深い者たちが多いため、知盛兄上に協力して謎の女性の世話をしているようだが、それも長く続くわけではないだろう。
 謎の女は、あまり室の中にこもりっぱなしでいるのも良くないと、兄上かまたはその周りの者たちに言われたのか、時おり兄上の邸の西の庭にいることがあった。西なのであまり日当たりが良くなく、花が咲きにくいため、庭としてそれほど珍重されていなかった。私は、兄上の邸を訪れた際に彼女がそこで休んでいることを知ったので、兄上不在の旨を聞き、しばしここにて待つと伝え、彼女がいるかと思ってこっそりと西の庭を覗きに来た。
 運良く、華奢で儚げな女性、奇妙なことに全く髪を伸ばしておらず肩よりも短い髪型をした女性が、庭に立ってぼんやりとしている姿を見つけた。私は早速、持ってきた沓を履いて庭に降り立ち、彼女に近寄った。

「この庭が、お好きですか」

 私の声に、彼女は大げさに驚いて私の方を振り返った。大きな緑色をした瞳が、こぼれ落ちそうなほど見開かれて私を凝視する。ごくごく簡素な袴姿で佇む彼女には、貴族的な気品や態度は見られなかったが、私は彼女に対し、この女性がもっと崇高で希な存在――たとえば神の使いである天女や、神に仕える巫女であるかのような印象を抱いていた。おそらく、私が彼女に興味を持ったのは、彼女がその神妙な空気を纏う故なのだ。
 彼女は後ずさり、私に怯えた様子で両手を引き寄せ、胸元に重ねて置いた。あまり食事を摂らないらしく、身体つきは頼りなげで、顔色は青白かった。それもまた、彼女が神聖なる神の使いのように感じられる所以だったのだと思う。
 私は、彼女を安心させるために、微笑んだ。

「驚かせてしまったようですね、失礼いたしました。私は、知盛兄上のすぐ下の弟、重衡と申します」
「……」

 私の自己紹介に、彼女は、なぜか苦々しげな面持ちになって、顔を伏せた。扇が無いから、というよりは、私の顔を見ていたくないといったふうだった。今まで生きていた中で、そんな態度を取られたことなどなかった私は、純粋に驚き、戸惑った。もしかしたら本当に、彼女はこの世の人間ではなく、だからこそ、人への甘え方やこの世界の作法を知らないのではないか?
 私の好奇心はますます刺激され、私は密かに歩みを進め、天女のごとき女性との距離を縮めようとした。しかし、彼女はすぐに気づいて、恐怖そのものといった様子で数歩後ずさった。
 私は、再び微笑んだ。

「何も、いたしませんよ」

 嘘だった。私は、おそらく彼女を手に入れるか、彼女を手元に置いてみたいという欲望を覚えたのだった。とりあえず、彼女の手か頬に触れて私の感触を覚えさせてみよう、そして優しくして、安心させ、この神秘の女性の秘密を聞き出すのだ。
 感受性の強そうな女性が、怯えた目で私を見る。だが、私は構わず近づく。
 その時だった。

「重衡」

 低い声が、私の歩みを止めた。私はそちらには振り向かないままで、彼女に触れるために半ば上げられた手をゆっくりと下ろした。彼女の目線が、庭から少し高いところに向けられていた。その瞳には安心感すら無かったが、私を見る時に宿っていた臆する色は消えていた。
 私は、笑みを顔面に貼り付けて、彼女の視線の先を見やった。

「ごきげんよう、兄上」

 兄は、右肩と右側頭部を柱に寄りかからせ、無の表情で私を見下ろしていた。怒ってはいない。しかし、その目はひどく冷たかった。
 私は彼女に接触するのを諦め、さっさと庭から邸の簀の子に上がった。

「お待ちしておりました。向こうでお話をしましょう」

 既に私ではなく庭に佇んでいる女性に視線を移している兄の前を通って、私は簀の子の曲がり角まで歩いた。後ろから兄がついてくる気配が無いので、振り向くと、兄は先ほどと全く同じ柱にもたれた姿勢、同じ顔のうつむき加減で、庭にいる女性を無表情で眺めていた。
 彼女もまた、何の感情も示さない面持ちで、兄のことを見つめ返していた。